最も大事なことは幸福か。いやそうではない。

これまでの私のキャリアにおいて何度もあったやりとりだ。「Krach、あなたはラッキーだった」と言われ、私は肩をすくめて次のように答える。「ああ、多分ラッキーだったんだろう」「タイミングが良かっただけだよ」

確かに私は恵まれている。愛する家族の元に生まれ、偉大な祖国の真ん中で慎ましやかに育てられた。努力の大切さを学び、世界を変えるという望みを抱いて大きくなった。私はこれまでに多くの時間を幸福とは何か、この言葉の意味するところを考えるのに費やして来た。幸福な人生というのは道の岐路に立った時にコイントスで行き先を決めたり、たまたま当たりのカードを引き当てたりすることで得られるものなのだろうか?あなたが業や祝福を信じるかどうかはともかくとして、神秘的な瞬間というのは確かにある。だが私は幸せの多くは自分で作り出しているものだと信じている。幸福とはそれ自体が推力を持った、私たちが生み出し増やすことのできるマジックだ。準備してきたことが機会を得て形になる時、幸福が生まれるのだと私は信じている。より多くの努力がより大きな幸福を生む。私はこれをフランク・ウィルソン理論と呼んでいる。

フランク・ウィルソンが中学でうちのチームに加入した時、彼はこれまで会った中で最もラッキーな男だと思った。彼は間も無くチームのエースとなり、一試合で平均18ポイントを挙げていた。だが私は途方に暮れていた。彼はほとんどジャンプできなかったためドリブルさせておくほかなく、また彼のジャンプシュートは実に見苦しいものだった(許せフランク)。彼は左利きで腕も短い。そんな彼がどうやって大量得点できるのかまるで分からなかった。ただのラッキーだと思ったのだ。

だがある日、チームメイトの親が試合をビデオに録画することがあった。その試合もフランクのシュートでゲームには勝利することができた。次の日の練習で、コーチは全員を招いてビデオ再生し始めた。みんながゲームの行方を見守る中、私はフランクの動きから目を離さなかった。録画を観ていて私は衝撃を受けた。フランクがほかの誰より良くできる理由は、彼がボールを持ってない時の動きにあったのだ。正しいタイミングに正しいポジションにいることが何より大事だったのだ。彼は小さな体で動き回り、空きができているゴール下に滑り込む。そしてパスを受けると完璧な正確さでシュートを打っていた。

私は練習中のフランクを新しい視線で見るようになった。チームメイトの多くがコートの半分くらいのところからトリックショットを決めることに馬鹿騒ぎしている中で、フランクは一人で黙々と練習していた。そして気づいたのはフランクが何もラッキーだったわけではなく、準備がしっかりできていたということだ。そしてチャンスが巡ってきた時、彼は自分の”ラッキー”を形にする状態にあったわけだ。これは私がフランクから教えられたことだった。

人生において最も大きなことは、誰も見ていない時に自分が何をやっているかだ。

フランクのおかげで今や私は準備の大事さに対する信念をますます深めるようになっている。実際の例をひとつ挙げよう。私が人前でスピーチするときのアプローチについてだ。学位授与の際の講話であれテレビ出演であれ、私はほんの数分の出番のためだけに数時間を準備に費やす。90分の移動の間、食後の3分スピーチのために時間を使ったのは私のチームメイトも何度も目にしている。私はどのような質問が来ようと大丈夫なように備えた。私の即興の喋りを周りは賞賛するかもしれないが、それを如何にカジュアルで自然な感じに見せるかにどれほどの努力がつぎ込まれてるかについては知らないかもしれない。

同様にカンファレンスやイベントに出席する際は、時間をかけて出席者のLinkedInプロフィールを覚えるようにしている。”たまたま会った人”とつながりを生むには、互いの共通点を見つける以上にいい方法はないだろうからだ。もしデール・カーネギーがまだ生きていたとして、昔の著書「人を動かす」を書き直すことがあるとすれば、間違いなく人の名前を覚えるだけでなく、LinkedInのプロフィールも覚えることを書き加えることだろうと自信を持って言える。

トーマス・エジソンは次のように行っている。「チャンスは多くの人々から見過ごされている。というのもそれは仕事のように見える皮をかぶっているからだ」
というわけでもしフランクがこれを読んでいるのなら、彼をただのラッキーな男だと思っていたことをお詫びしたい。彼は私に人生で最も重要な教訓、誰も見ていないところで何をしているかが一番大事だ、ということを教えてくれた。私はこのことを多くの人たちとも共有している。彼が世界のどこにいようとも私は彼のことを忘れないし、彼に世界中の幸福があらんことをと願っている。まぁ彼には必要ないだろうが。