先日、Elon Musk氏が人類に対する脅威であるとして、AIの規制を呼びかけた。人類が作り出したものは何であれ、技術を活用するものは良くも悪くも使われうるが、AIの開発がまだ途上にある中でそれを恐れ、規制の必要性を叫ぶのは時期早々と思われる。まず考えなければならないことは、この懸念がただの杞憂なのかどうかである。

私がこれを取り上げるのは、Musk氏がAI開発を悪魔召喚のようなものだとかつて述べたことがあるからだ。正当な人類の歴史評価であれ何であれ、衝撃的な悪意というものは人の心から生まれることが明らかだ。

だが同じように、技術は我々が体験するほとんどのことの場合、いい意味で進化させることも歴史が証明している。活版印刷からインターネットに至るまで、新しい技術の恐怖を喧伝する否定論者は常にいた。しかし良心的なリーダーに率いられることにより、技術は最初こそ、生活を混乱させるものではあるが、肯定的な進化で影響を及ぼすものとなる。AIの場合でも同じだ。

 

技術自体は常に中立である。

責任感とモラルがあるリーダーの手に渡れば、技術は考えもしなかった人の可能性を解放し、我々の生活を押し広げるものだ。ほかの技術同様、AIも中立的なものである。技術の倫理は、それをどう使うかを選ぶ我々全体のモラルを反映したものだ。

これまでの歴史上の独裁者たちが核兵器を持っていたらと想像してみよう。もし彼らがどこにでも届く核兵器を復讐に使ったとしたら、今に至るまで歴史が続いていただろうか?Vlad the Impaler(ワラキア公ヴラド・ツェペシ)や雷帝Ivan、Genghis Khanがそのような行動を取っていたとしたらどうだろう?彼らは悪意ある人間だというだけでなく、人民の王として選ばれてもいるのだ。では彼らのような狂った人たちがこの星に核や生物化学兵器を投下できる程技術は進化したのだろうか?悲しいかな、答えはイエスだ。我々がいる世界はすでに人の悪意、そしてその影響を大きなものにする技術が生むリスクに晒されているのだ。

現段階で恐怖にとりつかれることは建設的なAI開発を妨げとなる。技術は歴史を動かしてきた。もしそこに人の目的があるのであれば、それは学び、進化し、成長する中で明らかになる。我々を蝕み、我々の中の最も悪い部分が表に出てくるような状況から抜け出すために、創造性を逞しくするのだ。そういった意味で、人間の最も不思議な特質、思考力を模倣するAIは、我々を自由にする力であるかも知れず、達成される究極のものであるかも知れない。AIからは得られるものの方がはるかに大きい。

これでもまだ十分でないというのなら、イノベーションの不可逆性について考えてみるといい。これまでに意味ある技術が開発された後に、またなかったことになったということはない。世界で分裂が進むたびに、さまざまな知識が失われてきた。しかしながらそれらの殆どは、最初の発見とは縁もゆかりもない人によって再発見されている。発見されることは知識や技術に備わった特質だ。もし規制や管理がAIの開発を妨げると考えているのならそれは間違いだ。

後半の記事はこちら