フォルクスワーゲン:「車はデータモンスターになってはいけない」

宇宙家族ジェットソンに出てくるような、自動で動く未来の車とまではいかなくても、運転をより安全でより楽しいものにしてくれる車が、今現実に存在する。しかし、拍手喝采を受ける前に、とても残念なことを伝えなければならない。企業は、私たち消費者のデータを誤った方法で使う可能性が高いということだ。

誰もがガソリン代を1円でも安く抑えたいと願っているし、保険に入れなくなったり、あるいはもっと悪い事が起きないようにしようとしているだろう。ではそのために提供したデータが引き起こす不都合な事から、誰が私たちを守ってくれるのだろうか?

データモンスターの(さらなる)台頭

自動車産業は消費者データのプライバシー問題をとても真剣に受け止めているが、それは自動車メーカーにとって、継続的に取り組まなくてはならない問題になってきている。先週、トレードショー「CeBit」で、フォルクスワーゲンの会長マーティン・ヴィンターコルンは、自動車が「データモンスター」に成り得るという以下の懸念を表明した

「車はデータモンスターになってはいけない。自動車メーカーはこれまでも、ハイドロプレーニング現象や疲労、人や車の往来からドライバーを守ってきた。政府による間違った消費者データの利用からも守らなければならない。もちろん、ビッグデータには賛成だし、安全性や利便性の追求にも賛成だ。しかし、干渉者や監視人になってはならない」

言うは易く行うは難し、だ。ヴィンターコルンが、顧客のデータから利益を得ている自動車メーカーに対し、無私無欲であることに加えてデータの保護までも期待しているとしたら、それはなおさら困難だろう。彼のスピーチに関する報道によれば、ヴィンターコルンは「顧客のデータを守るための自動車業界の自発的な貢献」を求めており、「わが社はそのような努力を行う用意がある」と言ったそうだ。

なんとすばらしい心意気だろう。だが残念ながら、自動車産業はそのような方向には動かない。

私は別に、警鐘を鳴らしたり、馬車に揺られていたのどかな時代に戻ることを推奨しているわけではない(馬にしてみればのどかどころではなかっただろう)。私が言いたいのは、皆が先を争って消費者データを活用しようと大騒ぎをしているが、データの保護と使用のバランスをどうやってとればいいか、ということに対する理解がまったく追いついていない、ということだ。

問題は私たちにある

この保護と使用のバランスを問題にするには、注意が必要だ。以前から指摘していることだが、一番の理由は、データを生み出している人たち自身が、それがどう使われているかについてとても無頓着であることだ。フォルクスワーゲンやグーグルのような企業が消費者データを使った取引を行う間、私たちは文字通り、彼らの車を走らせるために自分のデータを放り込み続けているのだ。

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問題はおそらく、私たちがもっと賢くデータを管理できるようになるために、企業がどうやって助けてくれるかではなく、企業が喜んで助けてくれるかどうか、という点にある。

企業は儲けるためにある。それが彼らの存在理由だ。企業の利益を最大化するという動機よりも、社会にとってより良いことを優先させるように求めるのは無理だろう。一方消費者に対しても、物を買ったりサービスを利用することへの欲求を制限したり、最高値をつけた入札者に自分のデータを売ることをやめるよう要請するのは難しい。

そのためティム・オライリーも、おそらく正しい解決法は「多くの勘違いしたプライバシー擁護者がやりたがっているように、消費者データの収集を禁止するのではなく、入手したデータの間違った使い方を禁止する」ことだと助言している。オライリーは、膨大なデータを手に入れた人に対して効力を持つ法律の例として、インサイダー取引規制を引き合いに出している。データを入手することが悪いのではなく、特定の目的でそれを使用する事が問題なのだ。

市場に決めさせる?

少なくともここアメリカでは現在、政府に対する信用は低迷している。特定の関係者や政党によって動かされている集団から、良い法律が生まれるとは考えにくい。消費者データの保護に関する適切な法律が制定されるには、しばらく時間がかかるだろう。

しかし、企業が他社との違いを打ち出す上で、消費者データの保護が有力なアピールポイントになるということはあり得そうだ。Wal-Mart のモバイルとデジタル部門の上級副社長である ギブ・トーマスもその方向性を以下の様に示している

「Walmart ブランドは基本的に、信頼の上に成り立っている。長年に渡って、人々にとって安く買い物をしてお金を節約できる場所となっている。我々の理念は極めて簡単だ。データを使うときは、お客様から見えるようにし、何が行われているか、わかるようにするということだ。明確なオプトアウト・メカニズムがある。そして、もっと重要なことに、そこには価値の均衡がなければならない。お金を節約させ、必要になりそうなものを思い出してもらうのに、「ちょっと待って、どうやってそのデータを手に入れたの?」とか、「なぜあなたがそのデータを使っているの?」とは誰も言わない。それどころか、「ありがとう」というだろう。不快に感じる要素がどこにあるのか、誰もが直感的に知っていると思う。自分にして欲しいことが、他の人にだけされたときだ。違うだろうか?」

私は、多くの人は Wal-Martから「信頼」を連想しないのではないか、と思う。ましてや「データのプライバシー」と結び付けている人はほとんどいないだろう。Wal-Mart がダメだということではなく、私たちは消費者データに関して、信頼できる会社とそうでない会社とをはっきり区別しているわけではない、ということだ。

ownCloud を見てみよう。消費者ブランドでもなく、Box や Dropbox のような競合他社と比べて極めて小規模だが、ownCloud は最近、企業に自社データの制御権を十分に付与することで、630万ドルを売り上げた。消費者ブランドが同じようなやり方、つまり、データに対する考え抜かれた制御権を消費者に与えることで、他と差別化されるようになる日を思い描くのは難しくない。

実際、 グーグルは数年前に「Data Liberation Front」プロジェクトを立ち上げ、似たようなサービスの提供を始めたが、最近の消費者が求めているほどにはデータの制御は拡張されていない。グーグルのような企業が実際に消費者データのプライバシーと安全性の基準を引き上げるには、市場が成熟し、需要が高まるのを待つしかないだろう。

政府と市場

今私たちは、一時の利益と引き換えに、重要な価値を持つ自分のデータを売り渡している。そして遅かれ早かれ、その重要なデータをグーグルの自動運転車に放り込むことで 100 円のガソリン代を節約し、運転中にメールを書く贅沢に身を任せるようになるだろう。それというのも、この種のデータ収集と使用がまだ始まったばかりで、企業がデータを巡って競争する必要が、少なくとも今のところはないからだ。

そのうち、企業同士の機能が似たようなものになるにつれて、データ制御権はセールスポイントになる。そうなると、企業が私たちに制御権を持たせるのは、私たちの安全のためではなく、彼ら自身のためであることがわかるだろう。企業による消費者データの制御は行政介入に代わるものではなく、法律を補足するものである。市場と法律が、オールマイティな取引に対する消費者の欲求を制御することになるだろう。

画像提供:Shutterstock

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